元校長陳述書&尋問まとめ

H22年9月
F本に宴席に招かれたかじんと面識を持った。
H23年まで4回歓談した。2人きりで会ったことはない。

H26年1月
吉村洋文弁護士より遺贈の連絡

H26年2月5日
S、吉村、校長面談。リーガロイヤル
吉村から「遺言で寄付がある」と聞く。
Sが吉村を外し「実はM山に1億なんです。Aクラブに2億、大阪市に3億。」「吉村は信用できない。勝手に娘に1億持ちかけている。元マネは使い込み。私は自分が乳がんになるほどたかじんに尽くした。一生をたかじんの嫁で終える。主人がなくなってから一切外へ出ず一人悲しみに暮れている。有名人の妻だから働きにも行けない。遺産のほとんどは寄付。使い込みでお金に困っている。マンション追い出されそう。」
校長「奥さんにお金が行くよう努力してみます(放棄するとは言っていない)」
S、明るくなり「お分かりいただけてうれしいです」
校長の左手を両手で包み胸元に引き寄せ目をじっと見る。ラウンジだし、長いし。
携帯教える。

H26年2月6日
S「できるだけ早く2人でお会いしたい」
校長「間に人に入ってもらう」
S「他の人には聞かせたくないこともある」
校長室ならオープンなので可。

H26年2月8日午後4時
S、骨壺2つ持参
校長短くお祈り
S「運命的な出会い、献身的な看病、手料理の写真。吉村は金庫の金を使い込んでいる疑いがある。橋下徹の評価を得るために大阪市へ多額の寄付を要求した。たかじんは拒絶。やむを得ずAクラブ、M山付け足した。やしきの頭の中にはAクラブとM山はなかった。マネがお金かすめ取っている」
校長、東幸生弁護士を紹介。
S「メモ2枚」
校長(不信)

H26年2月12日
S、校長、東面談
事務所出て、校長の妻合流し食事
花とアルバム持ってマンションへ行くが、Sアルバムを置いてしまいがっかり。

H26年2月25日検認手続き→M山放棄せず受領

H26年3月3日偲ぶ会

H26年7月
校長、F本の要請でAクラブ顧問就任。S対応のため。
これまでの経緯を聞く。

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H26年1月7日
訃報を知る

H26年1月11日
たかじんBAR105(Y元手配)でAクラブ理事会メンバーで追悼式。SのことY元から聞く。写真も。

H26年1月15日18時
F本、N上、G藤の理事達でたかじんマンション。S初対面

H26年2月25日
F本受遺者として大阪家裁

H26年3月25日
発車ベルの件でN上とSメール始める

H26年6月9日
N上、Sと面談
S「寄付辞退して」「減殺請求や法人税で思いが全うできない」「AクラブはF本の手腕ではあるが、たかじんがやりたかったことと違うので、別組織でアワードをやる。」「F本ではなくN上に相談するようたかじんに言われていた。」
N上、F本に確認→F本「聞いてない」

H26年6月26日
N上、Sと面談。リーガロイヤル
S「法人税10%、娘の遺留分で4分の1目減りする。負担付遺贈であり、Aクラブは目減り分補填しなければならない。配偶者なら50%控除される。自分が受け取って財団法人設立する方がよい。吉村がこれを知らないからややこしいことになった。最初から自分が財団を立ち上げてそこに寄付すればよかった。それがたかじんの考えであった。たかじんメモリアルという財団をオフィスたかじんの代表者として設立しイベントを仕掛けていく予定である。イベントの内容については生前たくさん残したメモに書かれているので一つずつ実現するために動いている。大物に相談しており8名による発起人会を立ち上げる。」

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H26年8月11日12時08分
S→N上メール
「こんにちは。新しい執行人が決まり進んでいますが、大阪市は放棄の意向を頂きました。Aクラブは社団法人なので寄付でも税金を取られるそうで、税金を取られたらせっかくの寄付もかなり減ります。一度うちの東先生とNさん話してみてはいかがでしょうか。F本さん同席はお任せします。」

18時36分
N上→Sメール
「公認会計士は課税されないの判断」

18時49分
S→N上メール
「遺言とは全く違う趣旨。会った方がいい」

H26年8月13日
藤井薫弁護士から催促状
「1か月以内に放棄か受けるか決めて。」

H26年8月25日
F本、N上、東弁護士と面談
放棄の申し入れはなく、東「受け取ったら?」

H26年8月26日
S→N上メール
「一度受け取ると取り消せず、減殺が始まる。吉村さんは知識不足。やしきの思いを汲んでいません。」

H26年8月29日10時
N上、Sと面談。リーガロイヤルラウンジ
S「娘から減殺されると訴訟の被告になる。法人税で5000万(筆者の書き間違いか?)減額される。負担付遺贈なので補填は大変でしょう。辞退して。期限は9月12日。急いで検討して。」
N「裁判所で開示された遺言に従うと理事会で決定した。放棄には理由が必要。発起人は誰」
S「安倍晋三、橋下徹、安藤忠雄、秋元康、星野仙一、ビートたけし、百田尚樹、読売テレビ越智会長。8月8日8人で発表しようと思ったが、星野の入院で延期になった。10月5日たかじん誕生日発表予定。実際の業務は読売テレビ、関西テレビ、テレビ大阪と自分が行う。」

H26年9月11日
校長、F本、N上
N「Sさんは生活に困る困ると言うけれど、本当に困るのはマネージャーですよね。」
F「干されているらしい。何とかしてあげたいですよね。」
S、百田尚樹とI関と伴ってリーガロイヤル
S「放棄して」
校長「その場合Aクラブはどうかかわるのか」
I「たかじんが本当にやりたいことを理解している関係者は大勢いる。まず一旦戻してそれから進めるということでええやないか。関係ない者がっごちゃごちゃ言うな(みたいなこと)」
百田「娘とマネージャーはとんでもない奴だ。近いうちにもマネは社会的に抹殺される。」

H26年9月29日
N上、Sと面談。リーガロイヤル
N上、合意書面作成
S「ここまで細かいの心外」

H26年10月3日
N上、Sと面談
S、形式的な書面持参。数行程度の簡素な物(乙58)

H26年10月15日
N上→Sメール
合意書面新案

H26年10月16日
N上、Sと百田尚樹と面談。リーガロイヤル
S「Sのことを信用できないなら受領して勝手にやって。名前や肖像は使うな。」
百田「男らしくない。放棄に文書は必要ない。2億と聞いて自分達で使いたくなったか。たかが2億で卑しい。会議や飲み食いに経費を使うんやろね。」
N「自腹です。」

H26年10月27日
理事会「受け取り」

H26年12月24日
Aクラブ受領

喜田村弁護士「じゃちょっと呼んできます」
原告後から入廷の重役待遇、宣誓もピン。
黒パンツスーツ、白ブラウス、喪服?ヒール高さ10センチくらい。

原告代理人弁護士喜田村洋一「2013年11月とか12月、たかじんさんは(それにしてもなんでみんな家鋪さんと言わないのだろう)Kさん(3番証人)にどんな印象を持っていましたか?」
原「怒っていたし残念に思っていた。お金の使い方、女性関係、体調悪くてつらい時に写真送ってこられた」(なるほど確かにゆうこりん)
弁「うん、うん」(優しく相槌を打っている★)
弁「やしきさんは写真を見てどう思ったか説明してもえらえますかあ~」(さっきと打って変わってものすごく優しい声。★)
原「届いたのがステントの日で、ショックを受けて涙が出るくらい怒っていました。25年マネージャーしてきて、一番つらい時にこの裏切りは何だと。」
弁「Kさんの処遇どうすると?」
原「これまでなんどかあったんですけど、いくらかお金を退職金代わりに払うので(関西弁)お店をしたらどうかとか。Kさんに直接言ってました。Kさんは辞めたくないと言ってました。」
弁「Kさんはね、亡くなった後PIS任せると言われたと証言している」
原「ありえないと思います。解雇通知を作っておりましたし、首を切りたいって伝えてました。任せるなどありえないです。」
原「12月25日エンディングノート作った。以前より少しずつこういう希望があると。書面に起こしたのは25日、26日2日かけて。」
原「口述したものを私が書いて主人が署名しました。」
弁「各ページのところに、その上にあなたが書いた内容を見て、間違いないということでたかじんさんが署名した」
原「薬の影響で手が震えるので書けなかった。」
弁「12月30日弁護士に来てもらった」
原「遺言書を作ってる間退出した。録音録画した。本人の意思を弁護士が書き取った」
弁「12月25日たかじんさんがKさんに、さくらと娘は金にうるさいけど安心しとけと?」
原「ありえないと思います。家鋪の方からどれだけ欲しいと聞かれ、何も望まないのでお嬢さんに残してほしいと言いました」(関西のイントネーション)
弁「がんが移るかもしれないから承諾書求められた?実際がんになった?」
原「ありません。乳がんなったことない。日帰り手術行ってない。排泄物で暴露はあると説明はあったが、署名もらうことはない。がんが移ったとか乳がんになったとは言ってない。」
弁「乳がんで入籍?」
原「結婚してくれと言われたのは会った時と1週間後と、病気がわかってからは病気治って復帰したらと約束していた。」
原「2012年12月婚約指輪をもらいました。入籍が本意でないとか元気になったら離婚するとかありえない」
原「指輪もいただいたし、エンディングノートで今後の人生心配してくれたので」
原「2番目の奥さんと復縁したいとかありえない。友人が確認した。」
弁「2番目の奥さんの携帯の番号が変わっていたと記事にありましたが」
原「亡くなって少数の方お呼びする時、Kさん前妻の連絡先「知らない」と言うので親友が確認したら番号が間違って入力されていました。」
弁「どうして番号が違うの?★」
原「入院してご連絡あって煩わしかったので3回携帯を変えた。Kさんが携帯屋で変更したので私はわからない。番号が違うことは後になって知った。なぜ違っているのかわからない。」
弁「マンションの家賃は?」
原「10万円。退職金で精算すると税理士から聞いた。税金対策で会社名義にするけど退職金で精算できるようになっていると聞いた。」
弁「女性自身の記事が出て?」
原「考えられない内容が一方的に書かれ心身ともにつらい時間を過ごしている。家鋪自身も喜んでいないと思います。」

被告代理人弁護士西畑博仁「記事1について伺います。親族に取材を受けたか確認しましたか?」
原「していない」
原「連絡は取り合ってた。弟のYさんと、(たかじんの)お嬢さんと」
弁「頻度は?」
原「用がある時」
弁「記事が出たとき確認しなかったの?」(相手方なのにこちらもなぜか優しい話し方★)
原「いつ出たんですか?」
弁「2月」
原「時期をはっきりしていただかないと」
弁「確認したかどうか聞いてるんです」
原「そこまで関係できてなかったんで。関係できたのはもっと後」
弁「生前は?」
原「ないです。主人の携帯にも連絡先入ってなかった」
弁「容体悪化した時連絡しなかったんですか」
原「主人がKに任せると言ってました。私は連絡先も弟さんが何人いらっしゃるかも知らなかったです」
弁「葬儀にも呼んでない」
原「本人が密葬希望した。お母様は車椅子なので、大阪から東京に呼ぶのは本人が望んでなかった」
弁「そもそも亡くなった事を連絡してないのは」
原「本人が伝えるなと遺言に書いておりました。娘にも前妻にも伝える予定なかったが、お母さんには言わなくていいけれどもお嬢さんにはと私が思った。」
弁「結婚してくれと言われたのは会ったその日?」
原「冗談だと思った。1月17日がんがわかって本気だと思った。」
弁「フライデーの遺言は?」
原「なんで出てるのかわからない。別の形で入手したのだと思う。」
(喜田村弁護士うなずきながら聞いている★★★)
弁「解任申し立て?」
原「した。」
弁「桃山に遺贈放棄依頼?」
原「したことない」
弁「あかるクラブ」
原「ありません」
弁「乙7-1、あかるクラブHP「遺贈放棄の申し出」」
原「一部間違ってる。生前やしきが1千万寄付したが、使い道、いまだに東北へ寄付実行されてない。では2億きちんとできるのか話し合った。間に入ったのがNさんで、「放棄するよう言ってるんだ」と言っていた。あかるクラブもNさんが放棄すると言ってるのに、まるで私が放棄を迫ったようにHPに書かれてる。心外です。」
原「大阪にも桃山にも放棄は言ってない」
原「桃山の人1度もお会いしてない」
原「平成26年8月大阪市に寄付されてないのは執行者に聞いてください。」
原「私は遺言に従いますと執行者に言ってました」
弁「あなたの代理人がさっき執行者は一人でできると言ってたわけですが、執行者はあえてしなかったのか」
原「私にはわからない(笑う)」
弁「執行者から報告?」
原「大阪市保留になってると聞いた。基金立てるのか、市の財産になってしまうのか。議会の承認もいるということです。」
弁「Kさん乳がんの同意書、病院名、手術の話」
原「嘘だと思います」
原「いろんな検査受けているので病院の話したことあるが、名前は個人的なことなので言いたくない」
弁「Uさんがんブラザーズ」
原「彼ががんになったので励ますためにプレゼント送ったり」
弁「退職金を不動産の買い取り代金に当てる計算方法は?」
原「契約書ではないがガイドのようなものは作ってあった」
弁「退職金出たんですか?」
原「まだです。話進んでない。」
弁「マンション買うぐらいだからかなりの額」
原「別の話なのでお答えできない」
弁「ローン42万」
原「ローンの残り2000数百万は私が払いました。PISが払わないと銀行から連絡あったので肩代わりしました。家鋪が連帯保障になっているので何かあったら困る」
弁「いつ?」
原「かなり前。抵当権つけましたが前の話なので」
弁「今はずれてますね」
原「払ったの記事より後」
弁「フラッシュの記事「出て行ってほしいと要求」Kさんから立ち退き話?」
原「特になかったです」
弁「百田の認識は間違ってる?」
原「記事が間違ってる」
弁「百田が言ってないのに書かれた?」
原「書き方が違う」
弁「マンションの相場?」
原「知ってる」
弁「10万で住める?」
原「それは答えられない」
弁「12月25日Kさんとたかじん」
原「会った。自分はいない」
弁「11月Kさん問題起こして首を切りたい?」
原「はい。」
弁「12月25日会うまで手を打たなかった?」
原「解雇通知つくって本人からKに何度か話してた。話したと聞いた。直接は聞いてない。」
弁「2番目の妻と復縁しない確認をしたの誰?」
原「主人の親友です」
弁「どなた?」
原「お伝えしたくありません。」
弁「どう確認したんですか」
原「私と出会ってから連絡するのやめましたし、たくさんの方に復帰したらとか病気が治ったら私と結婚すると伝えていました。確認とはそういうことです。」
弁「記事について記者から取材依頼?」
原「ない。電話あったがどなたかわからないので断った。」
弁「スタッフが「女性自身の取材は受けない」と言っている」
原「スタッフはどの雑誌からも受けない」
弁「イタリア人との結婚公表してますね」
原「…(3秒)…はい」
弁「2012年3月離婚が成立した?」
原「答えたくありません」
弁「話し合いの時期は」
原「答えたくありません」
弁「別居3年の申し立て」
原「知ってる」
弁「手続きふんでないですよね」
原「答えたくありません」
原「名誉毀損でなくプライバシー」

喜田村「PISのマンションの弁済は平成27年6月、記事の翌年ですね」
原「はい。」

左陪席裁判官「百田の本はいつ出版?」
原「2年くらい前平成26年11月」
左「プロフィールは?」
原「詳細書いてない」
左「出身地・婚姻歴?」
原「結婚は書いてない」
左「勤務地?」
原「書いてない」
左「百田ツイッター「重婚じゃない」書いていいか百田から確認された?」
原「なかった」

右陪席裁判官「2015年12月25日ノート作成、どういう?」
原「23日に病院で宣告受け、病院ナースの方がそゆものあると。プリントアウトしていただいてバインダーで留めた。A4、スライドして挟む」

裁判長「じゃ終わりました」

3番証人・2番弟子

証人入廷、傍聴席に礼。
傍聴席の1番弟子「よっ!」と掛け声w
大串真智子弁護士原告を迎えに行くため退廷。

15:15

被告代理人弁護士西畑博仁「あなたはPIS所属?」
証人K「たかじんさんにあこがれて弟子入りした。弟子でありマネージャー、公私ともにお世話をした。」
K「PIS代表取締役になった事も。のちやめた。」
K「8月半ばのお盆時期にH野(1番証人)から電話取材受けた。H野とは面識ない。」
K「当時いろんな情報があり不安だったが、ちゃんとせなあかん、聞かれた事答えた。H野さんはよく調べておられた。私も聞かれた事答えた。」
K「H野さんの取材は1回だけ。もう1回こちらから電話した。」
K「H野さんの話聞いて、記事になって大丈夫と思った。話の内容は第2記事に反映されている。」
弁「遺言書について」
K「亡くなる1週間前の12月25日の前日、たかじん本人から電話来て「来てくれるか」と。」
K「2人きりで3時間ほど思い出話、余命をそこで聞かされ「死んでいくんやから今後の話せなあかん」「死ぬ前提の話は嫌です」「いやきっちりせな。エンディングノート書いとるんや」「事務所どうすんですか」「事務所はお前がやれ」と言っていただいた。」
K「遺言書作ってると。弁護士つけると聞いたと思う。」
K「エンディングノートの中は見てないけれど配分を聞いた。お金の事は聞いてない。事務所の方が気になったので。事務所はお前がとおっしゃっていただいた。」
K「亡くなって、遺言書の内容は2月半ば以降に見た。」
弁「会社はあなた、それ以外は?」
K「聞いてないが、原告と娘は言ってくるだろうが俺がしとくから安心せいと」
弁「娘にもと?」
(このメモ欠落)
K「寄付3か所、それ以外は原告という内容、聞いてたのと違う。」
弁「その経緯を?」
K「H野さんに話した。」
弁「原告は乳がんと言った?」
K「話してた。間違いない。」
K「最初に聞いたのは(たかじんが)手術して抗癌剤治療をしてる時、世話する人は被ばくする、排泄物をさわってはいけない、がんが移るかもしれない承諾書にサインしたと。」
K「原告から聞いた。当然たかじんも聞いたと思う。会社2人なので大変やということで、30年来のプロデューサーが手伝ってくれていた。U田さんという方。チーム組んでいた。U田さんも聞いた。」
K「そういうこともあるのかな~、と思った。」
弁「移ったのはいつと?」
K「はっきりわからないがU田さんもがんになったので、師匠が「俺とU田はがんブラザーズや!」と、U田を安心させようとしていた。その後原告ががんになったと聞いた記憶。2013年夏から秋ですかね。」
弁「どう思った?」
K「いや…そうなのか…ほんとにそうなのか…師匠は「4人でやってて3人ががんになるかと。Kお前もがんなれ」と師匠と話してました。」
弁「聞いたのはその3人?」
K「そうです。」
弁「その後入籍」
K「10月10日入籍されたんですが、10月末に「来てくれ」と呼ばれ、雑談して。「実は入籍したのや」と腑に落ちない顔で言うので「本意なんですか」と聞いたら「実は違うのや、世話でがんになってしまって申し訳ないので入籍したんや」と。」
弁「原告は手術した?」
K「入籍の後ですから11月」
K「つねづね胸を押さえていたんで、しんどいんかなーと。日帰り手術1回と聞きました。」
弁「日時は?」
K「ちょっと覚えてないけど、明日行きます、と言っていた」
弁「病院は?」
K「Nグモクリニック。行くというのでそうですかと。承諾書大丈夫ですか、私でよければと聞いたら、叔母に書いてもらったので大丈夫ですと。主人である師匠でないのが不思議だった。次の日病院に送りましょうかと言ったらそれも断られた。師匠も、送ってもらったらええんちゃうかと言ってました。」
K「当日たかじん家に呼ばれ夕方「手術行っとんのや、遅いんや、連絡ないし」と」
弁「マンションに格安の家賃で住んでる話」(唐突w)
K「PISのマンションに住み続けてる。同居してた場所。ローン月43万。」
K「たかじん月10万払ってた。PISの収入源は師匠なので特別措置として。亡くなると収入源ない。」
K「1月2月振り込みなくて、3月10万振り込まれた。そういうことなんやと思った。弁護士に相談した。」
K「立ち退くよう言ってない。住んでる人に出て行けとはできないと弁護士に言われた。」
弁「家賃増額した?」
K「ローンも残ってた。売るならいくら、家賃いくらで、ローンでも家賃でも同額なので40万でどうですかと原告に書面を送ったが原告は10万だけと回答」
K「亡くなった当初は冠料も入ってきたが番組も終わった。」
(原告代理人弁護士喜田村洋一爪を見たりヒゲを触ったり、指先に落ち着きがない)
弁「冠料はどこに?」
K「私がPISの代表になってテレビ局に挨拶に行ったら、原告が会社を作ったんでこっちに入れますと。契約はPISなので一旦振り込んでタレント料として原告に振り込む提案をしたが聞いてもらえなかった。PISの収入はそれだけだったので、冠料なくなりローン43家賃10ということをH野さんに話した。」
弁「娘への相続がゼロの理由をH野さんに?」
K「わからないと答えた。」
弁「娘と今交流は?」
K「ありません。没交渉」
弁「たかじんの財産がどちらになった方がいいと?」
K「自分には関係ない。利害関係ない。」

15:45

大串真智子弁護士まだ帰ってこない。法廷にいなくていいんですかね?この人がしゃべってるの見た事ありませんけど、お仕事は何してる人なんでしょうね??

原告代理人弁護士喜田村洋一「2013年12月25日見たエンディングノートとはどんな?」
K「A4位の紙が何枚か。」
弁「バラバラ?ノート?」
K「クリアファイルをこんなんやと掲げた」
弁「エンディングノートと書いてある?
K「見せてくださいとは言えないんで。」
弁「もう書かれてる?」
K「書き始めなのか、わからない。」
K「配偶者とか実子とか私が言うことじゃない。ただ事務所が心配だった。」
弁「娘は金にうるさい?」
K「何か邪魔が入るんじゃないか、Sと娘はちゃんとしとくと」
弁「事務所はどうしようと?」
K「閉めるのかなあ思ってた。」
弁「12月閉めるという話は?」
K「全くない」
弁「へえ~。ほんと?」
K「ない。」
K「最後までついて来いと言われたんで。前のマネージャーと会社作られたんで(メモとれず)」
弁「2013年11~12月あなたに怒ってた?」
K「一切ありません。」
弁「女性と一緒の写真」
K「誤って送った。何も言われなかった。」
弁「師匠がね、病気で苦しんでる時に。女と遊んで、なんてやつだと。こんなことしてんのかと怒ったと聞いていますが」(誰に?)(喜田村弁護士の尋問は「聞いていますが」が頻繁に出てくるが、そんな伝聞証拠でいいんでしょうか(?_?))
K「目の前では言わなかったが申し訳ない。間違って送って」
弁「PISに使途不明金問題?」
K「ありません。仮払金だと思う。師匠も経理に納得してなくて、知りたいから教えろと。税理士を連れていきました。」
弁「ちょっと待ってそれいつ?」
K「2013年12月。通帳持って、わからないこと聞いてくださいと。目を通していただいて、師匠わかったと。12月12日。」
弁「立腹は全くない?」
K「と思います。」
弁「ほんとに?」
K「はい」
弁「ふーん…」
弁「長女に残すと言ったら残ってなかった、あなたの話が正しい事を示す証拠は?」
K「師匠と2人の話です。メモも録音もないのでないので証拠はない。」
弁「遺言書は30日書かれた。5日間で心が変わったのをどう推測?」
K「変わられたのか…30日は意識なかったので」
弁「そこにいたの?」
K「部屋には入れてもらえず弁護士と師匠だけ」
弁「判断能力に何か起きたと?」
K「返事も精いっぱい。29日が最後だけど見るのもつらい」
弁「録音がある」
K「私は見たことない」
弁「医者が問題ないと言ってる」
K「それは知らない」
弁「結婚を決意したのはいつ頃?」
K「入籍しようという話一切聞いておりませんでしたので」
弁「乳がん他に誰?」
K「プロデューサー、方々で言うておりましたので」
弁「ほー、自分でそう言うんですか?」
K「胸押さえてしんどそうにしていた」
弁「で、乳がんって言ったの?普通ごまかすんじゃない?」
K「私達はずっと聞かされてた」
弁「あっちこっちで?」
K「推測です」
弁「乳がんで入籍に」
K「U田さんという方は聞いております」
弁「それ以外?」
K「知る範囲ではない」
弁「遺言書ご覧になった?」
K「2月半ば」
弁「それには娘の事?」
K「なかった記憶。」
弁「ほんとに見たの?(読む)」
K「あー遺産の事言ってほしくないと。あったかも」
弁「娘とどんな関係と?」
K「娘の話はあまり聞かなかったのでどういう関係とは…心配すなと聞いたときは、思っておられるのかなと。」
弁「遺留分主張するな」
K「請求権あるのにそこまで言ったのかなあと。弁護士もいるのに。」
弁「だから?親子関係は?」
K「うまくいってなかったのかなあ」
弁「マンションは何のために購入?」
K「居住目的。名義は事務所」
弁「お金用意したのは?」
K「事務所」
弁「たかじんさんは?」
K「出してない」
弁「ほんとに?」
K「はい。」
弁「契約は?」
K「してません」
弁「契約書は?」
K「ない」
弁「ないんですか?」
K「ありません。」
弁「税務署がうるさいですよね」
K(回答メモなし)
弁「ほんとに?」
K「」
弁「絶対?」
K「」
(まだまだしつこく続く。)
弁「あるんですけどね。」
K「そうなんですか。」
K「私が師匠に契約書を書かせるってことですよね」
弁「法人くぁwせdrftgyふじこlp…(なんか難しい話)」
K「私は知らないです」
弁「10万くぁwせdrftgyふじこlp」
K「これまで会社で契約しているマンションでとったことない。税理士が「1銭もとらないのは~」というので10万になった。」
弁「契約書がある事ご存知なかったんですね?」
K「はい。」
弁「マンションの利用料について」
K「10万が妥当と返事来た」
弁「契約書もなく弁護士が10万というのは考えにくいが」
K「そうなんだと思った」
弁「本当にあなた理解してたの?」
K「もし契約書あることに気が付いていなかったら失格ですけれども」
弁「退職金も含めて2人で…(喜田村弁護士声小さい!何か聞かれたくない事でもあるんですか?)」
K「ありません!!(こちらははっきり)」
弁「ふーーん…(質問メモなし)」
K「退職金の話1度もしたことない」
弁「あなたマネージャーでしょ。マネージャーに退職金の話しないのは当然では」
K「会社2人ですんで」
弁「がんが移ると信じた?」
K「トイレはいらないでとかベッドさわらないでとか聞いてたんで、注意程度?だと思ったが半信半疑」
弁「4月22日付原告陳述書読んで変えたんじゃ?」
K「変えておりません」
(筆者疲れたので以下メモなし。原告ががんが移ると言ったとか言わないとか)

左陪席裁判官「今の話聞いてると、原告からがんが移ると言われてないのでは?」
K「がんは移る病気とは聞いてない」
裁判長「じゃ終わりました」

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